間違えてなかった

  仕事を始める前、頑張ってやりくりして貯めたお金に助けられた。

   私は間違えていない。

    間違えていないから、頑張って考えていることを実現していければ、私は私自身に救われる。

   お金は助けになるけれど、買った着物たちは、将来の私や家族を助けてはくれない。

   間違えてはいけない。惑わされてもいけない。

気にしてるより、やっちゃった方がマシ

ダイエットすると「こればっかり食べてて他を食べてないとダメかな」とか「急に食べないと体の調子狂うかな」とか、余計なことが頭に浮かぶ。

 

   でも、今、何より体に一番悪いのは、多すぎる体重。

 

   まず、なにを差し置いても、これを減らせば色々なことが良い方に向かう。

 

   生活習慣は変えられる。まずは、ストレスで食べるのはやめよう。満腹と食欲を一致させよう。

生活習慣は変えられる

   脳を騙せばいい。

 

   夜 遅くに食べると調子が悪くなる

 

   とか、

 

    お金を使いすぎて、管理がきちんとできていないと、なんか、不安になって気分が悪くなる

 

  とか。

 

でも、多分、どれも生きていくための「真理」だったりする。

   結果を先に求めてはいけない。

まずは、いかに素晴らしい過程を築けるか。結果は、全て努力の過程があるからこそ生まれる。

 

   自信のもてる過程を作る。

 これからの10年は、自分のためでなく、人のため、家族のために生きること。

 

    それが神さまに愛される生き方。

そして、本当に自分のためになる生き方。

日記 令和元年 今日の決意

   とにかく痩せる。

 

   節約のため病気になるわけにはいかない。

豊かな人生を送るため、病気になるわけにはいかない。

   食べて気を紛らわす生活習慣を改善すよう。

 

  生活習慣は変えられる。痩せる習慣が身についけばこっちのもの。

 

   痩せたら、違う人生が始まるよ。

痩せて、違う人生を始めよう。

 

   毎日 前日より1gでも体重を減らそう。

 

返ってきたパスモ【人生観】

   去年の紅葉の頃に、バスの営業所の方から

パスモの落し物です」

と電話がきました。電話を受けたのはパスモ落した張本人の中3の次男坊。

「えっ?オレのパスモ

            えっ?そういや無いや」

って感じ。

 オイ!

  学校の合唱祭で横須賀芸術劇場に行った帰りに、パスモを落としたらしい。が、それさえ気付いていない。

まったくもう‼︎

  ま、それは置いておいて・・・。

  連絡をくれたバスの営業所が、私たちの住んでるエリアと離れていたので、不思議に思っていました。そして、パスモは警察に遺失物として届けられ、警察署の場所が、これまた馴染みが無い場所でようやく受け取りにいけたのが、年末。

   そして、先月末、中3次男が授業シーズンに突入し、願書提出のために久々にパスモを使うことになり、私がチャージしました(過保護過ぎ?)。

   「2000円チャージ。

        ん?残高2002円?もとの残高2円?

       ん?ん?ん?」

違和感感じて、履歴をプリントして確認してみました。

  探偵ごっこです。

   そして、、この履歴のプリントで色々なことが判明。いろいろな疑問も解決。

    次男は、京急横須賀芸術劇場のある汐入から自宅最寄駅までパスモを利用。改札をでたあとパスモを落としました。

   そして、拾った人のその後の行動。

   残金が800円ほど残ったパスモの拾得者は、そのままパスモを使いバスに乗ること3回。最後は、不足額110円を現金で支払い残金が2円になったので、バスに放置。

   「ああ、だから見知らぬ地域の営業所だったのかあ」

と、納得。

 「に、しても・・・。」

「拾ったパスモって、つかっちゃうんだあ」。

  現金拾って、ラッキー的な感じなんだろうけどねぇ。落としたのが悪いんだけど、持ち主わかるものの中身使うのって、罪悪感ないかなあって、なんかたまらなく微妙な気持ちになっちゃった。

   そういえば、オフィスビルにある職場のトイレに同僚がちょっとの間、バック忘れたら、現金だけ抜かれてとかあったよなあ。

   わたしは、そんなことしようなんて、夢にも思わないなあ。

  みんなが、そうであると信じていたけど、そうじゃないし、他人のお財布からお金を抜いても罪悪感を感じないのかと思うて、なんだかモヤモヤしてしまうなあ。

   でも、パスモを道端じゃなくて、バスに放置したのが、パスモを拾って使った人の僅かな善意と思って感謝するとしましょ。