人生のターニングポイント【人生観】
年末に主人の父が急に亡くなりました。
私の両親が相次いで亡くなったのが10年前。
大変だった。
本当に大変だった。
両親は二人暮しだったが、残された父はアルツハイマーの診断を受けていたし、家事なんてしたことない。一人で置いておけなくて、母の四十九日の法要の一週間後には、実家に引っ越ししてました。主人もよく賛成してくれたと思う。
大変でした。未だに夢に出てくるほど、大変でした。
だから、あんまり考えたことなかったけど、今になって思い返すと
「母の死を境に私の人生は激変してたんだな」
と思います。
義理の父は、私の父とは正反対。お出掛けが好き、新しいことが好き。
私たち一家と、本当に色々なところにお出掛けしました。だから、亡くなってから思い出が多くて「良かった」と思う反面、すごく寂しい。
未だ私の生活は、あまり変化はありません。
でも、残された義母は本当に父に甘えて、守られて生きてきた。
お金のことも、自営だった家のことも何一つ把握していない。
これから大変なんだろうなあ
と思います。
実際、主人に任せっきりで、目をそらしているところがあります。
でも、人生のターニングポイントは悪いことじゃない。
母の死をきっかけに始めた着付が今の生活の中心になっている。
この10年本当に充実していて、楽しかった。
義父の死によって、私はどこに導かれていくのかな?
焦らなくていい。
全て受け入れて、楽しみながら生きていこう。
それにつけても、感謝、感謝です。
心の浄化 or 心を揺さぶるか【ケンハモ】
実は、4人組で鍵盤ハーモニカの演奏をしています。幼稚園のママ友と、子どもが使わなくなった、メロディオンを使って活動始めて、ほぼ10年。
継続って、凄い。私たちも、そこそこ知られるようになってきました。
そして、最近、にわかに「大人のピアニカ」だの「大人のケンハモ」だの、鍵盤ハーモニカが注目されるようになってきました(勝手に私たちのお陰と思ってる)。
世間的には注目されてる上に、興味もあるから鍵盤ハーモニカの演奏を聴くチャンスも増えてきました。
11月23日は、本当に朝から晩まで鍵盤ハーモニカ漬けの一日。
朝から夕方まで、日本橋のSUZUKI楽器さんで、得田サトシ先生の鍵盤ハーモニカ講師になるための講習を受け、その後、夕方から代官山で、ピアニカの魔術師 ミッチュリー さんのライブへGo。
得田サトシ先生とミッチュリーさん。
どちらも、一流の人です。同じ鍵盤ハーモニカだけど、目指しているところは、月と太陽くらい違う気がする。
ミッチュリーさんの演奏は、魂の底からエネルギーがフツフツと湧き上がってきて、カラダが自然に揺れて、体がエネルギーで満たされていくような演奏。
得田先生の演奏は、魂の深いところに封印していた悲しみとか思い出が、優しくて美しい演奏で溶け出してきて、浄化される感じ。
比べること自体が間違い。
でも、人間好みってでますわよね。
ミッチュリーが子どもから大人まで、音楽好きが音楽を楽しむために集まるのに対し、得田先生は鍵盤ハーモニカ好きが、鍵盤ハーモニカの勉強のためであったり、得田先生の優しや演奏に癒しを求めて集まる感じ。
同じ楽器なのに、目指すところが違うとこうも違うか。
私たちが、鍵盤ハーモニカであのお二人に肩並べられるなんて、思わない。並べるはずがない。私たちは鍵盤ハーモニカに人生を捧げてないもの。
ただ、私は、鍵盤ハーモニカで技術の頂点は目指す必要なんてないと思ってる(せめてミスタッチはなくしたいけど。エッ、そのレベル?)。ただ、楽しくて、楽しくて、その楽しさを聞いてくれる人にも見せびらかして、みんなが私たちにあやかって、ハッピーになって欲しくて演奏してる。
人生も一緒。
何に幸せを感じるかなんて人それぞれ。その人の人生が成功したか、してないかなんて誰にも決められない。
色々楽しんで、中途半端だけど色々やって、その色々が混ざり合って味わいになる。
いつも元気に楽しく人生を送りたい。
鍵盤ハーモニカの話なのに、人生論になっちゃった。
では、今年もよろしくお願いします。
平の帯締 どっちが表問題【着物】
実は、着物関係の仕事をしています。
呉服屋さんの作った着付教室の講師です。
将来の夢は「日本一の着付師」になること。まだまだ、老舗の着付教室に大金を投入してお稽古は続けています。
先日、私の生徒さんが、他の教室の生徒さんに着付をしてもらいました(他装のお試験です)。
そこで、勃発したのが、
「平の帯締に裏表あるの?」問題。
私たちの教室では、
「色がはっきりしてるのが表。で、ギラギラしてるのは裏」
って、認識でいました。
「あんなにキラキラさせてるのに、それを一部しか見せない。なんと奥ゆかしい。まさに日本的」
と思っていましたが、
他の教室の生徒さんは
「両面使って良いって、言われてますぅ」。
だって。
確かに、作り的には、糸が渡ってるわけじゃないし、良いっちゃ、良いけどお。
で、大調査開始。
帯締持って、成人式の振袖練習に血眼になってる着付教室のお姉さんたちに確認。
そこで得た情報。
「これは、両面平気」。
たまたまお店に来ていた京都の作家の先生は、フサの作りを見て
「作りでは、色の方が表だねー。でも、フサはかくれちゃうから、コーディネイトでどっちも使って平気だね」
撃沈
ま、和服だってファッション。ステキなら、決まりに縛られず着ればいいとは思ってるんです。
だけど、やっぱり、キンキラキンを見せるの抵抗ありだなあ。
ま、自分がやらなければいいだけか。でも、生徒にどう伝えていこうかなあ。悩みは尽きません。
庭にある「はてな?」な葉っぱ【自然観察】
アボガドちゃんのある我が家の箱庭は、サボテンも枯れるほど、日当たりが良くて乾燥してる。
砂漠
世話も手入れもしないから、環境に適応したものだけが育つ。
で、時に、植えた覚えがない植物が芽をだし育つ。
いままで、勝手に育った植物たち
・立浪草
昔蒔いたミントの種の芽が出たと思ったら全然違った。一時期は、可愛い白い花と紫の花の2種類が大繁殖。
・ランタナ
こりゃ雑草じゃないなと思って、放っておいたら可愛い花を咲かせた。で、咲いた花の特徴を花好きな友達に説明して、一生懸命、種類特定。(スマホを持ってなかったから大変だったなあ)。
かわいいから、更に放っておいたら、細かった枝が段々と立派な木になってきたので、慌てて抜いた。しっかり根もはってて抜くのが大変で、なんだか恐怖を感じた。
そして、この子のばら撒いた種で、未だに子孫が庭のあちらこちらで、発芽してる。
よくわかんないけど「これが外来種の恐ろしさかあ」って感じてる。
あ、すごく話がズレた。
何故これを書きはじめたのか。
それは、また、庭に謎の植物が出現したから。
多分、成長すると、よく見かけるけど、名前もしらない雑草なんだとおもう。
生えはじめた葉っぱがちがうのかなあ。負担、雑草は大きくならないと気づかないからかなあ?
我が家の砂漠に果敢に芽を出し、葉っぱを広げた葉っぱは美しい(おいしそう)。
どんな雑草に成長するのかな?
また、しばらく放置して、様子を見守る私なのでした。
塩害 その後
3年くらい前、庭に食べ終わった後のアボガドのタネを試しに植えたら、イキイキと成長した。
今、高さ1メートル30cm超えたくらいかなあ。けっこう大きく成長した。
なんの世話もしていないけど、なんとなく洗濯物を干すたびに様子を見るのが習慣になってる。
で、今年、2018年 夏 台風24号到来。
洗濯竿拭きながら
「うわぁ、久々、塩でザラザラ」
とは思ったけど、アボガドちゃんの葉っぱが茶色くなってるのは
「風が強くて擦れたのかな」
くらいに思ってた。
後で、ニュース見て、植物の塩害のことを知り
「へーっ!」
って、感心しながら黒く変色した新芽の残骸をなんとなく不憫な気持ちで眺めてた。
そして、11月も半ばになった今になって、気付けばアボガドちゃんが、塩害を乗り越えて、一気に葉っぱを伸ばしました。
冬も外に放置されてるアボガドちゃんは、厳しい寒さに耐え、葉っぱを落としたり枯らしたりして冬を乗り越えて、夏になると一気に葉っぱと背丈を伸ばしてくる。けど、あんまり秋に勢いよく成長してる印象がない。
普通の年は、夏の成長の延長だから私が気づかないだけ?
それとも、今年が特別?
塩害を受けたからって、冬前に一気に回復を計ったのだとしたら、アボガドちゃん凄い。
塩害、塩害って騒いだし、実際、街路樹の銀杏なんかは茶色の枯葉が早い時期に落ちたるしたけど、残った葉っぱはちゃんと紅葉してる。
やっぱり、人が心配するほど自然はヤワじゃないね。自然のタフさに、こっちも負けないように頑張らないと。
秋の日差しを受けて、キラキラ輝くアボガドちゃんの新芽はやっぱりきれい。